私が非常勤で教鞭をとるホテルスクールには、日本のホテルサービスを学ぼうと海外からの多くの留学生が在籍しています。
彼らのホスピタリティレベルを評価した場合、
その多くが(*全員ではありません)平均的な日本人とは一線を画す、驚くべき能力を秘めていることをしばしば感じます。
そんな彼らのホスピタリティレベルについて、私はある仮説を立ててみました。
それは「日本語習熟度の高さがどれほど後天的にホスピタリティレベルの向上に影響しているのか」というものです。
「第二言語としての日本語習熟度がホスピタリティレベルに影響する(仮説)」
はじめに
仮説を立てるにあたっての留意点があります。それは、ホスピタリティという能力の基盤となる要素についてです。
ホスピタリティの能力は、「その人の持つ才能」(10歳ごろまでに形成されるその人の人格[*1])が大きく土台として関わってくると考えられます。
したがって、以降に述べる外国人による日本語習熟度だけがホスピタリティレベルを決定づけるいうものではないと、明確に述べておきます。
よって以下に述べる内容は、「才能」としてのホスピタリティという点についてはいったんここではさておき、後天的な要因となる「第二言語としての日本語学習」がそれにどう影響を与えるかにおいて、フォーカスをあてた仮説です。
注釈
(*ただし、人格は10歳で固定されるわけではなく、その後も成長を通じて発展し続けます。特に思春期や青年期には、自己認識の深化や新しい社会的価値観との統合が進むため、人格に対する外部の影響も依然としてあるとされています。)
このように、10歳までに形成される人格の基礎は、その後の成長によってさらに強化され、場合によっては柔軟に修正されていくことが、人格の成長において重要なポイントです。この観点から、ホスピタリティ能力の土台も、早期(10歳ごろまで)の環境や経験によって基礎が形成されるとともに、その後の成長や経験に応じてより洗練され、磨かれていくとされています。
この仮説を立てようと考えた理由
まずはじめに、私がこの仮説を立てるにあたって、着目したのが先述にもある通り、外国人留学生の「日本語習熟レベル」でした。
というのも、私が講義を担当するホテルスクールの授業で接客サービスのケースワークを行った際に非常にすばらしいホスピタリティ能力を持ち合わせる留学生たちに出会うことがよくあり、その中でも、特に母語(もしくはMultilingual Speaker)に加え「日本語表現力が高い人ほどホスピタリティレベルが高い」傾向にあるのではないかとしばしば感じていたからです。
また、この観察は私自身が大学で言語学を専攻していた(かじっていた程度)観点から私はこの仮説を立て、アプローチを試みています。
では、さっそくここから検証に入っていきたいと思います。
左脳だけで音声認識する日本語脳
下図をご覧ください。これは人間の脳が音や音声に対してどの部分が反応しているのかを示したものです。
*ことばの理解や表現をつかさどる中枢の「言語野」[*2]」は基本的に脳の左半球(左脳)にありますが、この図が示しているのはそれとは違い「音」に対して脳の知覚部位(大脳の反応の仕方)について表したものです。
注釈
音の認知
(日本語脳と英語脳の比較)
『左脳だけで母音も子音も認識する日本語脳』・『左脳で子音、右脳で母音を認識する英語脳』
まずこの図を見てもわかる通り、日本語を母語とする人(「日本人」という定義には色々ありますが便宜上、以下「日本人」と表記)の脳の反応を見た場合、子音でも母音でも左脳が反応しています。
それに対し西洋言語脳は子音には左脳が、そして母音に対しては右脳が反応します。
(*ここで言う西洋言語とは、詳細には英語などのアングロサクソン語やラテン、ローマン語などを中心にする言語群を指します。さらに、韓国語や中国語、アラブ語なども、西洋言語と同様の反応パターンを示します。ただし、唯一世界でもポリネシア系言語だけが日本人と同様の脳の反応を示すとされています)
特異稀な能力の日本語脳
「蝉の声」のように虫が発する音まで「声」と表現してしまう日本人
虫の鳴き声や風の音など、英語では通常「Sound」や「Noise」と表現しますが、日本人はしばしば、これら自然界にあふれる音を「声」という言葉を使って表します。
一般的に「声」とは動物がコミュニケーションをとる際に発する音を指すのですが、日本人が自然音にも「声」という表現を使うのはなぜでしょうか。
上図が示す音認識の違いには、もう一つ着目すべき点があります。
それは、言語以外の風音や雨音といった自然界にある音の認識方法です。英語話者は自然界にある音を右脳で捉えているに対し、日本人はそれらの音も左脳で認識しています。
このことから推測されるのは、日本人は「自然界に存在する音」も「音声」と同様に左脳内のみで処理しており、意図的ではなく無意識に自然音までも言語、あるいはそれに近いものとして捉えて表現している可能性があるという点です。
これが日本人の自然が発する虫の音や波・風音を「Sound」や「Noise」とならず、「声」と表現する理由かもしれません。

「風流」という感覚を生み出す日本語脳
自然界に存在する音(SoundやNoise)を西洋言語話者は「うるさい」とか「雑音」として捉えることもあります。
しかし、日本人にとっては、その捉え方が異なります。上記に示したように独特な音認識の脳の構造を持つ日本人にとって、俳句や和歌などの日本の伝統的な詩形にも見られるように「自然があたかも声を持っているかのように表現する」ことはごく自然な感覚と言えるのかもしれません。
またこうした表現方法が自然に対する日本人の精神世界や感性にも大きく影響していると考えてもよいのではないでしょうか。
この考え方を裏付けるものとして、日本語はオノマトペ (仏: onomatopée:擬音語・擬態語) の数が世界的に見ても圧倒的に多いということが挙げられます。日本語のオノマトペは非常に豊富で、欧米言語の3~5倍もにものぼるとされ、これはいかに日本語がいかに音を豊かに表現する言語であるかということを示しています。[*3]
さらに、これは「音認識から言語化のプロセス」を担う脳の構造が、日本語と英語で大きく差異があることを示しています。日本語脳がいかに高度な言語処理能力機能を持っているかということを伺い知るものかもしれません。
注釈
一方で、日本語は異なる場面や感覚を表現するオノマトペが豊富で、特に感覚や描写を具体的に表現する擬音・擬態語の種類が多いことで知られています。これは「ワクワク」「ドキドキ」「ニコニコ」など、感情や動作、音、感覚に至るまでさまざまな表現において、異なった描写での擬音・擬態表現による感覚的なニュアンスが最も豊富な言語と言えるでしょう。
論理性を持った言語化プロセス
ここからさらに推測できるのは、日本人の高度な「オノマトペ化」能力(音を言語化するプロセス)が、非常に論理的なプロセスを経ているという点です。
私の考えるこのオノマトペ化プロセスとは、まず脳が自然音を認知し、それが[*4]左脳内で分析・評価された情報として処理されます。その処理された情報をもとに、日本人は[*5]論理的な手順で組織化し、言語へと変換(言語化)していくのです。日本人はこの一連の作業を特に意識せずとも、日本語脳の習性として行っているように思います。
これは、頭の中で無意識に「文字起こし」をしていると捉えることもできるでしょう。
「詩的な感性」や情景描写の豊かさは、感覚的で情緒的な処理と、論理的な処理のバランスによって生み出されるものではありますが、日本語の場合は特にそういった脳内での無意識的に行われる論理的習性(プロセス)が、情景描写や雰囲気を想起させる詩的な感性に結びつく要因になっているのではないかと推測しています。
(※余談ではありますが、日本人はこの言語化プロセスにおいての脳内での「文字起こし」が行われるため、そのわずかなタイムラグがあるが故に、外国語習得が苦手とされると言われています。)
注釈
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論理的な左脳 創造的な右脳
これまで日本人の音の捉え方と言語化について考えてきましたが、ここからは、脳機能の側面からも接客における傾向を考察していきたいと思います。
論理的な左脳と創造的(直感的・感覚的)な右脳
脳科学の観点では、左脳は一般に論理的・分析的な情報処理を担い、言語処理や計算などの具体的なタスクに強いとされています。一方、右脳は直感的・感覚的な情報処理に関与し、空間認識や創造的な発想に優れているとされます。以下では、こうした脳の役割分担が、言語の違いによってどのような影響を受けるのかについて考察していきます。
左側が利き脳になっている日本語脳
これまでホテルスクールでの指導に加え、さまざまなホテルでのコンサルティングや研修を通じて多くのサービススタッフの方々と関わってきた経験から、日本人の一般的な接客に関する傾向について述べたいと思います。
日本人がパターン化したサービスの提供や「論理性」に基づいた正確性の高い接客技術などに長けています。多言語話者と比較しても、その点は特に秀でている部分でしょう。しかし、一方で「直感的」な判断やひらめきから瞬時に行動に移すホスピタリティはあまり得意としていないという側面があるようにも感じています。
この現象は、われわれが「日常で最もよく使われる感覚器官」である聴覚を通じて独自の音認識を行っていることに関連していると考えられます。
西洋言語の話者の多くは、左脳を主に子音処理、右脳を母音処理に分けて使用するため、論理的な要素と感覚的な要素が脳内でバランスよく働きます。対して、日本語脳では、言語処理において左脳の関与が強く、これが、「左側を利き脳にする」特徴を形成しているのではないかと推測できます。こうした脳の使い方の偏りが、日本人においては直感的な右脳よりも論理的思考を司る左脳が優位に働く要因となり、パターン化された正確なサービスを得意とする一方で、即興的な対応が苦手な傾向をもたらしているのではないかと考えられます。
論理的な言語化プロセスの日本語脳
ここで思い出していただきたいのが、先述した日本語脳にみられる左脳を使った「オノマトペ化のプロセス」です。前述した、感覚器官を通して認識された音(情報)を言語野で分析的に評価し、描写できるよう論理性をもって変換(言語化)する過程です。
この論理性を以て言語化する能力こそが、一般的に言われる「日本人らしさ」の根底にある理性や規律性に起因しているのではないかと私は考えています。
マルチリンガルの柔軟な感性と論理的判断力
対して、第二言語として日本語を流暢に話し日本語脳での思考力を持つ外国人は、単一言語話者(monolingual speaker)とは異なり、脳機能が「左脳型」「右脳型」のどちらか一方に極端に偏りすぎないと考えられます。また、複数言語の習得は脳の異なった部位を使うことによる神経細胞の増加が見込まれ、それにより脳内の様々な領域とのネットワークの強化やスイッチング(状況に応じて使用する言語の切り替え)から起きる注意力や集中力の恒常も想定されます。
「ひらめき」をコントロール
こうした日本語回路を持ちながら、右脳も左脳も自在に操ることのできるマルチリンガルは、脳機能に左右の偏よりが少なく、柔軟に発想した事柄を高い判断力でコントロール出来ているのでしょう。
これは単なる直感に基づいた即興的な(行き当たりばったりの)ホスピタリティではなく、合理性を伴いながら「ひらめき」をうまくコントロールして、風流さや美しさのあるホスピタリティに変換させる能力に繋がっていると推測します。[*6])
だからこそ日本語表現力の高い留学生が提供するホスピタリティは「整合性があり質の高いもの」となっている可能性が考えられると言えるのではないでしょうか。
注釈
この点について補足すると、マルチリンガルの人々は異なる言語環境でスイッチングを行う際、言語の選択や思考の制御を「抑制」しながら行います。このプロセスは脳の「前頭前皮質」に関連しており、柔軟な判断力や冷静な意思決定能力が鍛えられるとされています。
スイッチング機能の鍛錬が柔軟な発想や判断力に影響する可能性は、心理学や脳科学の研究でも支持されています。これが「直感」と「論理」のバランスに好影響を与える要因になり得ます。
これは、ある言語で「直感的」にひらめいたアイデアを他の言語で言語化する過程において、再評価や論理的整理が自然と行われるからです。
最後に(まとめ)
ここまで第二言語としての日本語習熟度がホスピタリティレベルにどう影響するかの仮説とその考察をしてまいりましたが、いかがでしたでしょうか。
顧客満足度の高いホテルのように高度な接客技術が求められる環境下において、接客そのものが右脳的感覚「ホスピタリティオンリー」、つまりセンスや直感、感性だけに頼ったものになってしまうと、かえって危険を伴う可能性があることはお分かりいただけるかと思います。というのも、直感や感性は、顧客の気持ちを汲み取り臨機応変に対応するために重要な要素ですが、それだけに頼って行動することで、慎重な判断が抜け落ちた即断となり、結果として適切でない対応になってしまうこともあるからです。
一方で、平均的な日本人が得意とする規範を守りながら理性的に淡々と行う「サービス重視」の接客は、忠実にマニュアルに従っただけの印象を与えがちで、シンプルで味気のない言葉ばかりのおもてなしになり、顧客満足度の向上につながらないことは、ご周知のことだと思います。
こういった点からも高度なレベルでの接客にはホスピタリティとサービスのバランスがきわめて重要であると考えられます。
(もちろん、私がここに記した日本語が堪能な外国人という点だけに留意して採用基準を設けるべきだという意図ではありません)
本稿の仮説は、日本語の習得レベルがホスピタリティ能力に与える影響を考察したものであり、多くの脳科学、心理学、言語学の研究やエビデンスを基に構築された仮説です。特に、日本語が持つ独自の言語構造や、接客における日本人特有の脳の働きへの影響については、これまでの研究成果と関連づけて根拠を持たせた考察を行いました。しかし一方で、脳科学や心理学の領域では依然として未解明な点が残っており、すべての要素を科学的に証明するには至っていない部分があることも認識しています。
とはいえ、この論考がホスピタリティそのものをより深く紐解くきっかけのひとつとなり、さらには日本のホスピタリティ産業の発展に、僅かながらでも貢献する一助となることを願ってやみません。
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