私が非常勤で講師を務めるホテルスクールには、日本のホテルサービスを学ぼうと海外からの多くの留学生が在籍しているのですが、
彼らの持つホスピタリティレベルを評価した場合、
その多くが(全員ではありませんが)日本人とはまったく違った形で、非常に高い能力を持っているのではないかと感じることがよくあります。
そこで今回、外国人留学生のホスピタリティレベルについて、私なりのある仮説を立ててみました。
その仮説とは「日本語習熟度の高さがどのくらい後天的にホスピタリティレベルの向上に影響するのか」というものです。
「第二言語としての日本語習熟度がホスピタリティレベルに影響する(仮説)」
はじめに
仮説を立てるにあたっての留意点があります。それはホスピタリティという能力の基盤となるものについてです。
ホスピタリティ能力には「その人の持つ才能」(10歳ごろまでに形成されるその人の人格 [*1])が大きく土台として関わってくると考えられますので、
当然ながら、以降に記載する日本語習熟度だけがホスピタリティレベルを決定づけるいうものではないと述べておかなければなりません。
よって以下に述べる内容は、「才能」としてのホスピタリティという点についてはいったんここではさておき、後天的な要因となる「第二言語としての日本語学習」がそれにどう影響しているかという点にだけフォーカスをあて検証を試みたものです。
この仮説を立てようと考えた理由
まずはじめに、私がこの仮説を立てるにあたって、着目したのが先述にもある通り、外国人の「日本語習熟レベル」です。
というのも私が講義を担当するホテルスクールの授業でケースワークを行った際に非常にすばらしいホスピタリティ能力を持ち合わせる留学生たちに出会うことがよくあり、その中でも、特に母語(もしくはMultilingual Speaker)に加え「日本語表現力が高い人ほどホスピタリティレベルが高い」傾向にあるのではないかとしばしば感じていたからです。
ちなみにこれは私自身が大学で言語学を専攻していた(かじっていた程度)こともあり、そういった観点からアプローチしたものです。
では、さっそくここから検証に入っていきたいと思います。
左脳だけで音声認識する日本語脳
下図をご覧いただきたいのですが、これは人間の脳が音や音声に対して脳のどの部分が反応しているのかというのを示したものです。
*ことばの理解や表現をつかさどる中枢の「言語野」[*2]」があるのは基本的に脳の左半球(左脳)ですが、この図が示しているのはそれとは違い「音」に対して脳の知覚部位(大脳の反応の仕方)について表したものです。
音の認知
(日本語脳と英語脳の比較)
左脳だけで母音も子音も認識する日本語脳・左脳で子音、右脳で母音を認識する英語脳
まずこの図を見てもわかる通り、日本語を母語とする人(「日本人」という定義には色々ありますが便宜上、以下からは「日本人」と記載)の脳の反応を見た場合、子音にも母音にも左脳が反応しています。
それに対し西洋言語脳は子音に左脳が、そして母音に関しては右脳が反応しているのです。
(*西洋言語と書きましたが、詳細には英語などのアングロサクソン語やラテン、ローマン語などを中心にする言語のことを示しています。加えて、韓国語や中国語、アラブ語なども、西洋言語と同じく左で子音、右で母音を感知しています。ただし、唯一世界でもポリネシア系言語だけが日本人と同様の脳の反応を示すとされています)
特異稀な能力の日本語脳
「蝉の声」のように虫が発する音まで「声」と表現してしまう日本人
虫が発する音などを英語では、「Sound」や「Noise」と言うのに対し、日本人はしばしば自然界にあふれる音を「声」という言葉を使って表現すことがあります。
本来「声」とは動物がコミュニケーションをとる時などに使われる音声のことなのに、なぜそのように表現するのでしょうか。
そこで上図にもう一つ着目して頂きたい点があります。それは、言語以外の風音や雨音といった自然界にある音の認識法です。英語話者は自然界にある音を右脳で捉えている反面、日本人はそれらを左脳で認識しています。
ここから想定できることは、日本人は「自然界に存在する音」も「音声」と同じく左脳内だけで処理しており、意図的ではなく無意識的に自然音までも言語もしくはそれに近いものとして捉えて表現しているのではないかということです。
これが日本人の自然が発する虫の音や波・風音をSoundやNoiseなどの「単なる音」にはならずに、「声」と表現されるものになっているのかもしれないと考えます。

「風流」という感覚を生み出す日本語脳
自然界に存在する音を西洋言語話者は「うるさい」とか「雑音」に捉えることもあるに対して、
独自の脳の構造を持つ日本人にとって、俳句や和歌の中にも見られるように「あたかも声を持っているかのように表現する」ことはごく普通の感覚であるのかもしれません。
またそういった表現方法が自然に対する日本人の精神世界や感性にも大きく影響していると考えてもよいのではないでしょうか。
それを証明づけるものとしても、オノマトペ (仏: onomatopée:擬音語・擬態語) の数が日本語は世界でも圧倒的に多いということです。ちなみに日本語にはオノマトペが豊富に存在し、欧米語の3~5倍存在していると言われます。これはいかに日本語の音に対する表現方法が豊富であるかということがお分かりになるでしょう。
また、これは「音認識から言語化のプロセス」を行う脳の構造に英語と日本語でこれほどにまで大きく差異があることを示すものとなっており、日本語脳がいかに高度な言語処理能力機能を持っているかということを伺い知るものとなっているかもしれません。[*3]
論理性を持った言語化プロセス
さらにここで推測できることは、日本人の高度な『オノマトペ化』能力(音を言語化するプロセス)がいかに論理的に行われているかということです。
私の考えるこのオノマトペ化プロセスとは、まず脳が認知した自然音は左脳内で分析化された情報として評価され、その処理された情報をもとに論理性をもって組織化して、変換(言語化)するという作業です。日本人はこの一連の作業を特に意識せずとも、日本語脳の習性として行っているように思います。
そういった脳内で無意識的に出来てしまう論理的習性こそが、日本人の情景描写や雰囲気を思い起こさせる詩的な感性にまで結びついているのではないかと推測しています。
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論理的な左脳 創造的な右脳
これまで日本人の音の捉え方と言語化について考えてきましたが、
ここからは一般的にもよく言われる
論理的な左脳
創造的(直感的・感覚的)な右脳
についても考えていきたいと思います。
左側が利き脳になっている日本語脳
まず、この「論理的」と「直感的」という点に関してですが、私自身これまでホテルスクールでの指導やホテルスタッフの接客研修を通じ多くの方を見てきた経験から、おおよそ以下に挙げるようなことが言えるのではないかと考えています。
それは日本人がパターン化したサービスの提供や「論理性」に従った正確性の高い接客技術などに長けており、他言語話者と比較しても特に秀でているという部分であるということです。
その一方で、「直感的」な判断やひらめきから瞬時に実行に移すホスピタリティをあまり得意としていないという側面もあるように感じています。
これは聴覚という「日常で最も使われる感覚器官」を通じ独自の音認識を行っている日本語脳が、左側を「利き脳」にしてしまっているからではないかと考えています。それが要因となり直感的な右脳より論理的思考の左脳が優位に働いているのではないかと想定されます。
論理的な言語化プロセスの日本語脳
また、ここで思い出していただきたいのが、先述した日本語脳にみられる左脳だけを使った「オノマトペ化のプロセス」です。前述した、感覚器官を通して認識された音(情報)を言語野で分析的に評価し、描出されるよう論理性を以て変換(言語化)されているという点です。
この論理性を以て言語化する能力こそが、一般的によく言われる「日本人らしさ」という点においての、理性的であったり、規律性という点に起因しているものではないかと私は考えています。
マルチリンガルの柔軟な感性と論理的判断力
対して、第二言語としての日本語を流暢に話し日本語脳で思考力を持つ外国人は、単一言語話者(monolingual speaker)とは違って、左脳型、右脳型といったようにどちらかに大きく偏よりすぎていないということが考えられます。また、複数言語の習得は脳の異なった部位を使うことによる神経細胞の増加が見込まれ、それにより脳内の様々な領域とのネットワークの強化やスイッチング(状況に応じて使用する言語の切り替え)から起きる注意力や集中力の高さも想定できます。
「ひらめき」をコントロール
このように日本語回路を持って右脳も左脳も自在に操ることのできるマルチリンガルは、脳機能に左右の偏よりが少なく、柔軟に発想した事柄を高い判断力でコントロール出来ているのでしょう。
それは、直感だけで行き当たりばったりにホスピタリティに移してしまっているということではなく、合理性を以て「ひらめき」をうまくコントロールしながら風流で美しさのあるホスピタリティに変換させる能力に繋がっていると推測します。
だからこそ日本語表現力の高い留学生のホスピタリティには「整合性があり質の高いもの」となっている可能性が考えられるといっても良いのではないでしょうか。
最後に
ここまでここまで第二言語としての日本語習熟度がホスピタリティレベルにどう影響するかの仮説とその考察をしてまいりましたが、いかがでしたでしょうか。
顧客満足度の高いホテルのように高度な接客技術が必要とされる環境下において、接客そのものがセンスや直感、感性だけに頼りきってしまった「ホスピタリティオンリー」になってしまった場合、大きく危険を伴う可能性があるのはおわかりでしょう。
反して、平均的な日本人が得意とする規範を守りながら理性的に淡々と行なってしまう「サービス重視」だと、マニュアルに従っただけのようなシンプルで味気のない言葉ばかりのおもてなしになりかねず、顧客満足度も上がらないのはご周知のことだと思います。
そういった点からも高度なホテルでの接客にはサービスとホスピタリティのバランスが重要になってくるのですが、だからといって私がここに記した日本語が堪能な外国人という点だけに留意して採用基準を設けるべきだとは思っておりません。
あくまでもここでの仮説は日本語習得レベルがホスピタリティレベルにどう影響するかの論考であり、仮説にすぎません。また、脳科学というまだ解明しきれていない点からのアプローチですので、科学的根拠に欠ける部分も多くあることを否定できません。
ただ、この論考そのものがホスピタリティそのものをより深く紐解くきっかけのひとつになるのではないかと信じてやまず、それにより日本のホスピタリティ産業の発展に僅かながらでも貢献するきっかけのひとつになればと願っております。
【注釈】
[*1] 人格の土台はだいたい3歳くらいに形成され、10歳くらいまでに確定するといわれています。
[*2] 脳の左半球にある言語野は言葉をつかさどる領域で『運動性言語中枢{ブローカ野(発話)}」がその前頭葉に、『感覚性言語中枢{ウェルニッケ野(言語理解)}』が側頭葉にあります。
[*3] 朝鮮語は日本語よりもオノマトペが多い言語と言われまが、実際には同じ擬音などに対して、近い音の母音や子音などの組み合わせ音が多いために実際の数よりも多く見積もられている可能性があります。それに対し、日本語は異なった描写での擬音・擬態表現が最も豊富な言語であると想定しています。
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